ラーメン食べたい。

黒髪ロングの黒タイツ。

散歩、嫌いじゃない。

夜、よくキャンパスを一人で散歩することがある。入学前は夜のキャンパスはうるさそうだなという印象を持っていたが、流石に深夜となると人とはほとんど巡り合わない。夜に活動してる元気な人達はキャンパスの外側で酒を飲んだりタバコを吸っていたりするらしいので、夜のキャンパス内というのは存外人が少ない。高校で寮に入って以来、散歩というのは数少ない習慣の一つとなっている。高校時代は校舎の周りや、少し寮から離れた林道をよく散歩したものだ。熊やイノシシの目撃情報があったのが少し怖かったが。

散歩って意外と楽しいなと気付いたのは小学校の頃だ。僕の母がたの祖父母は静岡の浜松市に住んでいて、休みがある毎に遊びに行っていた。今ではその頻度は少なくなったが、年に一回は必ず行くようにしている。祖父母の家に泊まっている間、時折祖父に散歩に誘われることがあった。試しに付いていくと、星が東京とは比較にならないぐらい綺麗で、星空を見上げながら祖父が星座の話や宇宙の話をしてくれた。はしゃいでしまうような楽しさ、というわけではなかったが、なんとなく満ち足りた気持ちになれた。夜の、人が少ない街というのも悪くないなって思えた。

 

静かな夜のキャンパスで感じることは日によって違う。ある日は、自分の存在が世界に比べて普段よりも小さく思えたりする。自分は本当にちっぽけな存在で、世界って自分がいてもいなくても問題はないし、何も変わらないんだなぁなんて当たり前のことも今更自覚したりする。まあ別に、それ自体に悪い気は全くしないんだけどね。自分の影響力が強い世界なんて荷が重くていつか疲れるだろうし。またある日には、この空間は今この場所を認知している自分という存在のためにあるんだなぁ、なんてことも思ったりする。その日の気分によってバラバラだ。

日によっては音楽を聴きながら歩いたりもする。自分はイヤホンで音楽を聴きながら何かをすることが多いので、曲が記憶と結びついてたりすることが多い。気に入った曲は短期間にヘビロテするので、それぞれの曲がそれぞれの時期の記憶と重なっているなんてこともあったりする。懐かしい曲を聴きながら、あの時はこんなことがあって、こんなことを考えてたなと思い出すのが案外楽しかったりする。散歩をしながらだと、そんな思考も捗るのだ。

 

散歩というのは、物理的な時間と自分の中にある時間の流れを合わせるという作業にも役に立つ。これを感覚的に理解してくれる人がいるかどうかは知らないが。

とりわけ寮にいる時というのはルーティンワークや単純につまらない時間が多い。そういう時は物理的な時間だけが流れて、自分の中の時間が全く進んでいないような感覚に陥る。日々の退屈さや虚無感というのはこういった要素からも発生しているのかもしれない。ただ、散歩をすると何となく自分の中の時間が進んでくれているような感じがする。そろそろ帰ろうかって時には、自分の中の時間が物理的な時間に追いつき、歩幅を合わせて進んでいるかのように思える。それだけでも、外に出てみて良かったなと思える。

 

別に何かを言いたい記事というわけではない。ただ、「物理的な時間だけが流れて、自分の中の時間が全く進んでいないような感覚」が理解できるのならば、散歩というのは悪くない選択肢だよっていうのは提示しておきたい。

 

ちなみに、今日はうさぎを見つけたよ。(写真は明るく写っているが、実際はかなり暗い)

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では次の記事でお会いしましょう。